令和5(2024)11月29~30日に開催しました第27回山名会総会の報告ページを作成しました。
今回は武家の都である鎌倉を出発点にして、相模路を巡る歴史探訪を計画に入れ、20名の会員の皆さんにご参加頂きました。
コロナ明け、初の総会
第26回総会を但馬で行ったのが令和元年で、翌年も総会を開催すべく準備に掛かる筈でしたが、令和2年2月に始まった新型コロナ感染症の流行に伴い、同年3月に予定していた役員会も開催出来無くなってしまいました。
その後は、感染症流行と沈静化を何度も繰り返した後、令和4年秋からは少し状況が落ち着いたので、それ以降、役員会を2度開催して、鎌倉探訪を中心とした今回の総会を計画した次第です。
山名会に限った事では無いのですが、コロナ感染症流行の為に活動が出来ず、長い休会期間中に、集団の体力や結束力が弱り、活動が出来なくなっている団体や行事も多いと聞きます。
果たして4年振りに開催することになる山名会総会に、皆さんがご参加いただけるか、ある程度の参加者が確保出来たとしても、諸物価の高騰を受けて大きな赤字を出さずにやり繰りが出来るかと少し不安を抱いてのスタートでした。
しかし有り難いことに参加締め切りを待たずに前回総会の参加者数と同程度の20名の方々がお申し込みいただいて参加者の面では一安心し、総会開催の日を迎えた次第です。
第1日目・11月29日
時間 | 予定 |
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11:30 | 鶴岡八幡宮横そうび園駐車場集合、バス乗車。 鎌倉駅着10:39着、11:01着の電車あり。 |
12:00 | 檑(らい)亭にて相模湾の遠望を楽しみながら昼食 |
13:00 | 鎌倉大仏高徳院(ガイド合流 以降は徒歩) |
14:00 | 護良親王をお祭りする鎌倉宮参拝 頼朝公墓参拝 |
15:15 | 北条一族の霊を慰める円頓宝戒寺参拝 北条高時の腹切りやぐら(時間が有れば) |
16:15 | 鶴岡八幡宮参拝又は、小町通散策(各自選択) |
17:15 | 鶴岡八幡宮横・そうび園にてバス乗車 |
18:10 | 万葉の湯・町田店に到着、夕食・懇親会 |
鎌倉に集合
初日は、前日からの好天が続き、屋外での活動には申し分の無い日和となりました。集合時間が鎌倉に午前11時半と少し早めの時間帯でしたので、遠方からご参加の皆さんには早朝の出発でご負担を掛けました。コロナ明けの反動で観光地はどこも大賑わいで、当日は平日にも関わらず、横浜から鎌倉に向かう電車内は、鎌倉が近づくにつれて混み始め、鎌倉駅は構内も駅前も多くの観光客で賑わっていました。
鎌倉駅前には貸切バスが待機するような場所がないので、集合場所を鎌倉駅から離れた鶴岡八幡宮横の駐車場としました。参加者の皆さんには、長い距離を重い荷物をさげて集合して貰わねばならず、此方でもご負担をかけてしまいました。
檑(らい)亭
集合時間までに参加者全員がバスに乗車し、先ずは街外れの鎌倉山の中腹に立地する料亭「?亭」へと向かいました。?亭の前身は実業家の別荘だそうで、そこは広く起伏に富む敷地内に、各地から移築された山門・茶室・母屋等が立体的に配置されており、母屋からは相模湾をよく見渡せます。また母屋内部には明治初期に作成されたステンドグラスやシャンデリアで彩られて、実業家の別荘で有った頃の趣に満ちていました。お昼には、湘南特産の釜揚げシラスをあしらった松花堂弁当を準備していただき、早速に地元の味が楽しむことが出来ました。見晴らしの良いお座敷で昼食をいただきつつ、ご参加の皆さんは4年振りの再会に会話も弾んでいたようでした。
鎌倉大仏・高徳院
昼食後には、バスで鎌倉市内に戻り、鎌倉大仏・高徳院へ。ここでお願いしていた観光ガイドの方と合流して、早速に鎌倉大仏の案内していただきました。院内では大仏が誕生から現在に至るまでの道筋を説明して貰い、普段なら見落としがちな境内各所に散らばる見学スポットも丁寧に案内して貰いました。鎌倉宮
次に向かったのは、鎌倉の東端に位置する鎌倉宮です。こちらは「元弘の変」( 後醍醐天皇勢力による鎌倉幕府の倒幕運動)で活躍をした護良親王をお祀りする神社です。護良親王は、鎌倉幕府倒幕後に足利尊氏など周囲との歩調が合わずに孤立。その後、この地の土牢に幽閉され、戦乱の混乱に乗じて非業の死を遂げます。
以降、長い時代に渡ってその存在が忘れられていましたが、明治2 年に明治天皇の命により、親王が幽閉されていた牢を奥宮のようにして鎌倉宮が造営されました。
こちらでは、神職3 名の方々により、山名会の発展と会員各位の安寧を祈願していただき、その後は宮司様自ら境内を詳しく案内いただき、護良親王が辿られた生涯や、鎌倉宮の由緒について詳しくお話しを聞くことが出来ました。
参拝後に宮司様直々にお話を頂きました。 |
親王が幽閉された土牢についても説明いただきました。 |
頼朝公廟所・寶戒寺
そんな道すがらには「大蔵幕府東御門跡」と彫られた石碑が姿を現したり、地名を見ると「西御門」・「二階堂」という歴史と関わり深そうな町名が続きます。
今は落ち着いた住宅街ですが、正に八百年前のこの地は、武者や御家人が行き交う鎌倉幕府の中心地で有ったのだと想像しながら進んで行くと白旗神社に至ります。その神社の横にある三十段ほどの石段を登り切ったところに源頼朝公のお墓が祀られていました。
このお墓は江戸時代に島津家が整備した物と言われます。こちらでは、墓前で説明を聞いた後に線香をお供えして、それぞれに頼朝公の存在を実感されていました。
歩いて来た距離は短いのですが、各スポットでの見学時間が少しずつ嵩み、次の参拝場所である円頓寶戒寺に着いたのは、空も少し暮色掛かった午後4 時過ぎとなってしまいました。
こちらのお寺は元々が北条氏の屋敷で、北条氏滅亡後に後醍醐天皇の命を受けた足利尊氏が北条氏の菩提を供養するために建立しました。こちらでは堂上に上がって参拝してガイドさんの説明を聞き、境内を散策致しました。閉門時間の関係で、少し急ぎ足の見学になったのが残念なところです。
頼朝公の墓 |
円頓宝戒寺の境内 |
鎌倉から町田へ
夕暮れ前の八幡宮, 1400.jpg本日の史跡散策のゴールとした鶴岡八幡宮前に戻って来たのは夕暮れ近い時刻となってしまいました。ここでガイドさんとはお別れで、30分ほど残った見学時間は、八幡宮に参拝に向かったり、小町通りにショッピングに行かれたりと皆さん思い思いに時間を使って貰いました。中には、見学では行けなかった北条高時の「腹切りやぐら」に向かわれた方々も有ったようです。
自由散策を終えた後は、最初の集合地点であるバス駐車場に戻り、2 日目の見学に備えて鎌倉を後にして、町田市の宿舎に向かいました。123
夕暮れ近い鶴岡八幡宮境内 |
上宮前から海方向を望む |